みなさんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。
今回は、大正・昭和初期に活躍した建築家「岡田信一郎」の建築作品5選をご紹介したいと思います。
様式建築を数多く残した建築家です。
是非最後までご覧ください。
岡田信一郎とは?
岡田信一郎の経歴
- 1883年 東京に生まれる
- 1906年 東京帝国大学建築学科卒業
- 1906年 大学院入学
- 1907年 東京美術学校講師
- 1911年 早稲田大学講師
- 1912年 大阪市中央公会堂の指名設計競技1等
- 1923年 東京美術学校教授
- 1932年 逝去(49歳)
岡田信一郎は、49年という短い人生ながら、大正・昭和初期にかけて数多くの優れた建築作品を残した建築家である。
代表作には、ネオ・ルネサンス様式を用いた「大阪市中央公会堂」、帝冠様式を用いた「3代目歌舞伎座」、歴主義建築の最高傑作として名高い「明治生命館」など、数多くの様式建築が挙げられる。
また、東京美術学校や早稲田大学では後進の育成にも尽力し、吉田五十八や吉村順三、今井兼次といった、後の建築界を牽引する人物を育て上げている。
さらに、岡田信一郎は海外雑誌などを読み漁り、ヨーロッパの近代建築動向をいち早く察知していたことでも知られているが、実作には反映されておらず、理論にとどまっている。
病により49歳で逝去した岡田信一郎だが、もう少し人生が長かったら、もしかしたら様式建築家ではなくモダニズム建築家として名を馳せていたかもしれない。
岡田信一郎の建築作品5選
1.大阪市中央公会堂
大阪市中央公会堂は、1918年大阪市北区中之島に建設された集会施設である。
大阪市中央公会堂の建設にあたっては、当時はとしては珍しかった指名設計競技が行われ、伊東忠太などの名だたる建築家を抑え、当時まだ29歳であった岡田信一郎の案が1等に選ばれた。
研究をメインの活動としていた岡田信一郎が、建築家としての活動を拡大していくきっかけになった建築作品である。
しかし、最終的に岡田信一郎は基本設計のみを行い、実施設計は指名設計競技の審査員であった辰野金吾と片岡安が担当している。
そのため、岡田信一郎が設計した原案は、ネオ・バロック様式を基調とした壮麗なものだったにもかかわらず、辰野金吾らがそこに手を加え、落ち着きのあるネオ・ルネサンス様式を基調とした現在のデザインに変更されたという。
2.歌舞伎座(3代目) ※現存せず
- 設計:岡田信一郎
- 住所:現・東京都中央区銀座
- 竣工:1924年
- 用途:劇場
- URL:公式ページ
歌舞伎座は、1889年に歌舞伎専用の劇場として、現在の東京都中央区銀座に開業された文化施設である。
2代目歌舞伎座が漏電により焼失したことを受け、岡田信一郎の設計によって3代目歌舞伎座が1924年に建設された。
3代目歌舞伎座は、石造り風鉄筋コンクリート造の建物の上に、日本伝統の瓦葺き屋根を乗せた「帝冠様式」の建築となっており、和と洋を折衷したデザインが特徴であった。
その後、第二次世界大戦で損傷した3代目歌舞伎座は、岡田信一郎の教え子でもある「吉田五十八」が、3代目のデザインを活かす形で4代目歌舞伎座に改修している。
現在、銀座に建っている歌舞伎座は5代目であり、設計は隈研吾と三菱地所設計が共同で行っている。
3.鳩山一郎邸(現・鳩山会館)
- 設計:岡田信一郎
- 住所:東京都文京区音羽1-7-1
- 竣工:1924年
- 用途:邸宅
- URL:公式ページ
鳩山一郎邸は、第52・53・54代内閣総理大臣を歴任した「鳩山一郎」の邸宅として、1924年に建設された住宅建築である。
設計を務めた岡田信一郎と鳩山一郎は、中学校来の仲で親交が深かったそう。
鳩山一郎邸は、1995年に大幅な修復作業が行われ、現在は鳩山家を記念する「鳩山会館」として運営されている。
鳩山会館の外観は、イギリス建築風のデザインを取り入れた洋風のモノとなっているが、内部に目を向けると日本特有の引き違い戸が存在しており、開放的な空間がつくられている。
4.黒田記念館
- 設計:岡田信一郎
- 住所:東京都台東区上野公園
- 竣工:1928年
- 用途:美術館
- URL:建築詳細ページ
黒田記念館は、洋画家・黒田清輝の顕彰などを目的として、1928年に東京芸術大学音楽学部に隣接する位置に建てられた美術館である。
現在は、東京国立博物館の一施設として運営されており、黒田清輝の代表作『湖畔』などを展示している。
煉瓦造風の外観を呈している建築物だが、外壁を覆っているのはスクラッチタイルで、構造自体は鉄筋コンクリート造を採用している。
建物中央にはイオニア式のオーダーが並べられており、端正な歴史主義建築の特徴を象徴的に現わしている。
建築詳細ページ
5.明治生命館
- 設計:岡田信一郎
- 住所:東京都千代田区丸の内
- 竣工:1934年3月
- 用途:オフィスビル
- URL:建築詳細ページ
明治生命館は、1934年に明治生命の新社屋として東京・丸の内に建設されたオフィスビルである。
1997年には、昭和期に建てられた建築物として初めて重要文化財に指定されており、その歴史的価値は国からも認められている。
岡田信一郎の遺作としても知られており、死の間際まで病床で明治生命館建設の指示を行っていたという。
コリント式の柱で構成されたファサードが端正な外観を作り出す明治生命館は、ネオ・ルネサンス様式を用いた歴史主義建築となっており、日本における歴史主義建築の最高傑作としても名高い。
東京・丸の内は現在、歴史的な建築物が次々と高層化されてしまっているが、明治生命館は竣工から90年近くたった今でも、竣工当時の姿を維持している。
建築詳細ページ
岡田信一郎の教え子
吉田五十八
今井兼次
吉村順三
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。