江戸東京博物館とは?

江戸東京博物館は、両国国技館のすぐ隣に建つ、大規模な博物館建築である。
設計を務めたのは、メタボリズム(代謝建築)の思想を世に広めたことで知られる建築家「菊竹清訓」。
テーマ「江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館」
このテーマを基にしつつ、菊竹自身のメタボリズム的思想も組み込まれた、圧倒的存在感を示す建築物が完成している。
菊竹清訓とは?
- 1928 福岡県に生まれる
- 1950 早稲田大学建築学科入学
- 1950 竹中工務店勤務
- 1952 村野・森建築設計事務所勤務
- 1953 菊竹清訓建築設計事務所設立
- 2011 死去
菊竹清訓は、黒川紀章らと共に「メタボリズム」提唱した建築家の一人である。
代表作としては、「スカイハウス」「九州国立博物館」などが挙げられる。
また、菊竹独自の設計論を展開している著書『代謝建築論 か・かた・かたち』は、建築界に大きな影響を与えたともいわれている。
建築の特徴




江戸東京博物館の建築的特徴としては、次のような点が挙げられる。
- 「メガストラクチャー」による大規模な建築
- 「江戸の記憶」を想起させる高さ
- ヒューマンスケールを逸脱した「ピロティ空間」
- 無骨な骨格に動きをもたらす「動線チューブ」
- 東京五大粗大ごみの一つ?
「メガストラクチャー」による大規模な建築




江戸東京博物館は、4本の巨大な柱と2本の巨大な大梁という「メガストラクチャー」によって全体が構成されている。
この4本の強固な柱という構成は、菊竹清訓の初期の代表作「スカイハウス」と同様のものであり、メタボリズムの思想が菊竹の建築論として一貫していることが見て取れる。
人間が新陳代謝によって成長していくように、建築も増築や改築といった代謝を繰り返すことで成長し、時代の変化に対応するべきだという思想、建築運動のこと。
「江戸の記憶」を想起させる高さ




江戸東京博物館は高さ62mと、周辺の建物の規模と比べてもかなり頭の飛び出た存在となっている。
この高さ、実はかつてこの地に存在した江戸城の天守閣とほぼ同じ高さになっているのである。
つまり、この建築から街を見下ろすことで、江戸時代の風景を想起できるようになっているとのこと。
ヒューマンスケールを逸脱した「ピロティ空間」




メガストラクチャーによって造られた建物の下を貫通するピロティ空間。
この空間は「江戸東京ひろば」と名付けられ、建物の下なのにまるで広大な広場のように活用されている。
無骨な骨格に動きをもたらす「動線チューブ」




4本の柱とその上を覆う建物。そのシンプルで言ってしまえば無骨な構成に動きを作り出しているのがエレベータチューブとエスカレータチューブである。
特にエスカレータチューブは、その有機的な形状によって人々を建物内部へ誘引している。
また、原色を使った仕上げなども、意図はわからないが、人々の内部空間への興味を起こさせるのに一役買っているように感じる。
東京五大粗大ごみの一つ?




江戸東京博物館の大規模な構成。
この無駄が多いともとらえられる構成には批判の声も多く、建築界の巨匠磯崎新は「東京五大粗大ごみ」のひとつとしてこの建物を挙げている。
建築概要
- 所在地:東京都墨田区
- 竣工 :1993年
- 用途 :博物館
- 構造 :RC造、S造、一部SRC造
- 階数 :地下1階 地上7階
- 設計 :菊竹清訓
- 施工 :鹿島建設
- 構造 :松井源吾+O.R.S.事務所
- 設備 :森村設計
- URL :https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
最後に・・・
以上が江戸東京博物館の特徴でした。
4本の強大な柱によって支えられた大規模な建築が、街のランドマークとなるような絶対的な存在感を放つ建築になっていたと思います。
ご覧いただきありがとうございました!
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