【建築解説】旧帝国ホテル(ライト館)|フランク・ロイド・ライト

みなさんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。

今回は、大正時代に建てられたフランク・ロイド・ライトの名作「旧帝国ホテル(ライト館)」の歴史や建築的特徴について解説していきたいと思います。

ライトの最高傑作であると共に、モダニズム建築の代表作でもあります。

是非最後までご覧ください。

目次

旧帝国ホテル(ライト館)の概要

photo by *Yaco*/CC 表示-継承 2.0

旧帝国ホテル(ライト館)は、昭和期に日比谷公園の東隣に建っていたホテル建築である。

帝国ホテルが開業したのは1890年のことで、今回紹介する通称ライト館は、帝国ホテルの2代目本館として1923年に建設されたものである。

建築の設計は、近代建築三大巨匠の一人「フランク・ロイド・ライト」が担当。

フランク・ロイド・ライトの設計と言うだけ価値がある作品なのだが、それ以上に、竣工直後に発生した関東大震災での伝説や建築そのものの構成など、語り切れないほどの物語や特徴がある建築作品となっている。

設計者:フランク・ロイド・ライトとは?

  • 1867年 アメリカに生まれる
  • 1885年 ウィスコンシン大学入学
  • 1893年 自身の事務所設立
  • 1959年 逝去(91歳)

フランク・ロイド・ライトは、近代建築三大巨匠の一人としても知られるアメリカの建築家である。

代表作としては「落水荘」「グッゲンハイム美術館」などが挙げられ、モダニズムを代表する優れた建築作品を数多く残してきた。

ライトは日本にも何度か来日し設計活動を行っており、「帝国ホテル」や「自由学園明日館」といった建築作品を日本に残している。

また、ライトは不倫・駆け落ちといったスキャンダルがある人物としても知られており、いろんな意味で世界的建築家となっている。(笑)

旧帝国ホテル(ライト館)の建築的特徴

2代目帝国ホテル本館としての「ライト館」

繰り返しになるが、ライト館と呼ばれるフランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルは、2代目帝国ホテル本館として1923年に建設された建築物である。

初代帝国ホテルは、1890年の開業と共に建てられており、ドイツで建築を学んだ明治期の建築科・渡辺譲が設計を担当した。

初代帝国ホテルが日本の近代化を象徴するような「西洋風の建築」であったのに対して、2代目帝国ホテルは、ライト建築らしい「有機的なモダニズム建築」になっている。

有機的なモダニズム建築

モダニズムの代表作「ファンズワース邸(ミース)」

フランク・ロイド・ライトは基本的にモダニズムを代表する建築家として知られ、旧帝国ホテルに関してもモダニズムの傑作として扱うのが一般的となっている。

しかし、通常モダニズム建築といったらミースの代表作「ファンズワース邸」のように、装飾を完全に配した無機的な建築作品を思い浮かべる人も多いだろう。

それに比べライトの旧帝国ホテルは、どう見ても装飾性が高すぎる。
しかし、これこそがライトの設計スタイルなのである。

ライトが提唱した建築原理の中に「有機的建築」という言葉がある。

これは、自然と融合する建築を目指すというライト独自の建築原理であり、流動的な建築空間に装飾を付加することで有機的建築を実現しようと試みている。

そのライト独自の建築原理が顕著に表れているのが、こんお旧帝国ホテル(ライト館)というわけである。

装飾材として利用された日本の「大谷石」

photo by Asturio Cantabrio/CC 表示-継承 4.0

旧帝国ホテルは、鉄筋コンクリートと煉瓦コンクリートの複合構造で空間が構築されている。

そしてその表層には、大谷石・スクラッチタイル・テラコッタといった様々な素材によって装飾がなされているのだが、その中でも大谷石は特に多用されている。

大谷石とは、栃木県宇都宮市大谷町付近で採掘される日本特有の石材である。火に強い・軽い・加工しやすいなどの特徴があり、古くから屋根や外壁などの建材として使用されている。

ライトは、大谷石の加工のしやすさに着目して、帝国ホテルで装飾材として利用したのである。

上の写真を見てみると、煉瓦壁のアクセントとして、幾何学的な模様で彫刻された大谷石(グレーの部分)が配置されていることがわかる。

ライトが帝国ホテルで大谷石を使用したことで、日本国内ではさらに大谷石が建材として注目されるようになった。

関東大震災でも無傷だったという伝説

震災直後の旧帝国ホテル(右奥)

旧帝国ホテルが竣工したのは1923年である。

そう、1923年と言えば日本で関東大震災が起こった悪夢のような年でもある。

帝国ホテルが建っていた日比谷公園周辺でも、そこらじゅうの建物が倒壊したり、火災に見舞われ焼失してしまったりしていた

しかし、そんな悲劇のさなかでも、ライトの旧帝国ホテルはほとんど損傷も受けず、その地に力強く佇んでいたと言いう。

旧帝国ホテルが損害を受けなかった理由としては、他の建物に比べ壁が多かったことや、建物の高さと幅の比が小さかったためなど、様々な見解が示されている。

いずれにしても、関東大震災という悲惨な災害に負けずに力強く佇んだ旧帝国ホテルは、人々に勇気を与え、神話的な存在として後世に語り継がれたのである。

明治村に移築再建されたライト館

photo by Bariston/CC 表示-継承 4.0

1964年、老朽化などの原因からライトの旧帝国ホテルは解体が決定。

しかし、解体の指針が示された際には、国内外で大規模な反対運動が起こるなど、歴史的にも価値のある旧帝国ホテルの存続を願う声が多方から寄せられたのである。

結果的に1968年に解体されてしまった旧帝国ホテルだが、その一部(中央玄関部分)だけは、愛知県犬山市の「明治村」という所に移築保存されている。

この明治村では、玄関部分だけではなく建物前面の池なども再現されているため、かなり日比谷に建っていた頃の旧帝国ホテルが忠実に再現されている。

歴代帝国ホテルの建築的特徴

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今回はこれで以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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