谷口吉郎とは?
- 1904 金沢市に生まれる
- 1928 東京帝国大学工学部建築学科卒業
- 1929 東京工業大学講師となる
- 1943 同大学の教授に就任
- 1978 金沢市名誉市民に選ばれる
- 1979 死去
谷口吉郎は、「東京国立近代美術館」や「東京帝国劇場」など、日本を代表する建築を数多く手がけた昭和期を代表する建築家である。
金沢市に生まれ、1978年には建築界におけるた偉大な功績が認められ「金沢市名誉市民」第一号にも選ばれている。
また、谷口吉郎の子「谷口吉生」も建築家であり、「ニューヨーク近代美術館」の設計を務めるなど世界的に活躍する建築家でもある。
今回は、日本建築界に多大なる影響を与えた建築家「谷口吉郎」の代表作7選をご紹介したいと思います。
【代表作】建築家谷口吉郎の建築作品7選
1.東京国立近代美術館「本館」

- 住所:東京都千代田区北の丸公園3番1号
- 開館:1952年
- 用途:美術館
- URL:公式ページ
東京都千代田区北の丸公園内に建つ、近現代美術作品を中心に展示・保存するために建設された美術館である。
元々この地には別館として「東京国立近代美術館工芸館」も存在したのだが、政府が掲げる地方創生の一環として別館だけが金沢市に移転され、現在は「国立工芸館」として運営されている。
建築としては、「コンクリート」と「ピロティ」という重・軽の対比が特徴的で、モダニズム建築を象徴するかのような構成となっている。
2.東京国立博物館「東洋館」




- 住所:東京都台東区上野公園
- 開館:1968年
- 用途:博物館
- URL:公式ページ
東京国立博物館「東洋館」は、上野公園内に建つ5つの棟から成る東京国立博物館の中で、東洋の美術品をメインに取り扱う施設である。
建築としては「深い庇」や「切妻屋根」など、伝統的な日本建築の要素を取り入れつつ、それをコンクリートで構成するという、モダニズムらしい意匠が特徴的。
また、東京国立博物館の5つの館のうちの一つ「法隆寺宝物館」は、谷口吉郎の子である谷口吉生が設計しているため、東洋館と一緒にチェックしておきたい。
3.帝国劇場




- 住所:東京都江戸川区臨海町6-2-2
- 竣工:1966年
- 用途:劇場・美術館など
- URL:公式ページ
帝国劇場は、1911年に建設された日本初の本格的洋風劇場である。
現在建っている帝国劇場は、谷口吉郎が設計を担当し1966年に竣工した2代目の帝国劇場であり、国際ビルヂングとの一体型複合ビルとして建設された。
帝国劇場9階には、同じく谷口吉郎が設計した「出光美術館」が存在し、東洋古美術を中心に様々な展示が行われている。
残念ながら、今の帝国劇場は老朽化が原因で2025年に閉館が予定されている。
閉館になる前に一度は訪れておいて損はないだろう。
4.金沢市立玉川図書館








- 住所:石川県金沢市玉川町
- 竣工:1978年
- 用途:図書館
- URL:公式ページ
金沢市立玉川図書館は、谷口吉郎と谷口吉生が親子で設計を務めた最初で最後の建築である。
谷口吉生が「本館(写真1枚目)」の設計、谷口吉郎が「別館(写真2枚目)」の設計と総合監修を担当している。
建築としては、ガラスなどを使用した本館の「現代的な外観」と、赤煉瓦で覆われた別館の「伝統的な外観」の組み合わせが印象的な建築となっている。
また、谷口吉郎はこの建築を最後に亡くなっており、実質的に谷口吉郎の遺作となった。
5.東宝ツインタワービル




- 住所:東京都千代田区有楽町一丁目5番2号
- 竣工:1969年
- 用途:商業施設、オフィス
東宝ツインタワービルは、千代田区有楽町に建つ東宝不動産所有の商業施設である。
この建物の名称の由来ともなっているが、建築としては屋上に建つ2本の塔(ツインタワー)が特徴的。
この塔は、谷口吉郎がフランス旅行をした際に、高い塔のおかげで目的地である境界にたどり着けたという経験が基になっていると言われている。
6.愛知県陶磁美術館




- 住所:愛知県瀬戸市南山口町234番地
- 開館:1978年
- 用途:美術館
- URL:公式ページ
愛知県陶磁美術館は、愛知県瀬戸市に建つ、陶磁器を専門に扱う県立美術館である。
この美術館は「本館」「南館」「西館」「陶芸館」など複数の建物で構成されており、一日中楽しめる施設となっている。
建築としては、重層する伝統的な切妻屋根が特徴的で、谷口吉郎建築らしい日本の伝統様式が感じられる作品となっている。
7.藤村記念館




- 住所:岐阜県中津川市馬籠4256-1
- 開館:1952年
- 用途:文学館
- URL:公式ページ
藤村記念館は、明治・大正・昭和の三代にわたって活躍した詩人「島崎藤村」の作品や資料などを保管・展示するために建設された文学館である。
谷口吉郎建築は、「日本の伝統様式×コンクリート」という印象が強いが、この建築は木造の建築となっている。
理由は、この建築が建設されたのが戦後の貧しい時代であること、それから村民の手によってつくられた建築であることが理由だったという。
谷口吉郎関連の書籍




今回はこれで以上になります。
今回ご紹介した建築は、谷口吉郎が設計した建築のほんの一部です。
そのため、今後も随時情報を更新していきたいと思っています。
気が向いたら、また本記事をご覧ください。
ではまた。
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