みなさんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。
今回は、上部に設置された時計台がシンボルとして佇む「銀座和光」の建築的特徴を解説していきたいと思います。
映画やテレビでもたびたび登場する銀座のシンボルです。
是非最後までご覧ください。
銀座和光(旧・服部時計店)の概要

銀座和光は、建物上部に設置された大きな時計台が今や銀座のシンボルにもなっている商業ビルである。
元々は「服部時計店」の本店として使用されていた建物だが、1952年からは服部時計店の小売部門が独立して誕生した「株式会社和光」が本店として使用している。
建築に関しては、東京国立博物館・本館を設計したことでも知られる建築家「渡辺仁」が設計を担当。
銀座和光は、ネオ・ルネサンス様式が用いられた歴史主義建築で、交差点に対して優美な曲面を描いた外観が印象的な建築物となっている。
設計者:渡辺仁とは?
- 1887 新潟県に生まれる
- 1912 東京帝国大学建築学科卒業
- 1912 鉄道院勤務
- 1920 渡辺仁建築工務所設立
- 1953 渡辺高木建築事務所開設
- 1967 渡辺仁建築事務所に改称
- 1973 死去(86歳)
渡辺仁は、日本建築界が「歴史主義(近代化)」から「モダニズム」へと変遷していく時代に生きた建築家である。
そのため、彼自身の作品にも「歴史主義建築」「帝冠様式建築(和洋折衷建築)」「モダニズム建築」など、多種多様な様式を持った作品が存在し、時代の流れに沿って様式を選択的に用いていた建築家としても知られている。
代表作としては「服部時計店」「東京国立博物館本館」「原邦造邸」などが挙げられ、それぞれ時代の流れを反映した異なる特徴を持つ。
銀座和光(旧・服部時計店)の特徴
銀座のシンボルになった「時計台」

今や銀座のシンボルともなっている和光の時計台。
『ゴジラ』『日本沈没』といった映画のロケ地や、天気予報の中継先映像としても映し出されることがあるため、誰しも一度は見たことがあるのではないだろうか。
さらに、この時計台には鐘楼も設置されており、毎時0分の45秒前からウエストミンスター式チャイムが鳴り響くようになっている。
現在の建物は2代目時計台

実は、現在建っている時計台を持った建物は2代目の施設で、初代時計台は1894年に完成している。
その後、老朽化などの原因から建て替えが計画されたが、その計画中に関東大震災が発生し建設を中断。
耐震性などを大幅に見直したうえで、1932年に現在の2代目の建物が完成した。
ネオ・ルネサンス様式を用いた建築物

銀座和光は、ネオ・ルネサンス様式を用いた建築物となっている。
ネオ・ルネサンスとは簡単に言うと、14世紀に起こった文化運動「ルネサンス」の復興を目的とした歴史主義運動のことである。
失われた過去の優れた建築様式を復興させることで、美しい街並みを取り戻そうとしたのだ。
そして、ネオ・ルネサンス建築は、水平性が高くシンメトリーな構成などが特徴となっており、銀座和光でもその特徴が明確に現れている。
天然の御影石で覆われたファサード

先ほども少し触れたが、現在建っている2代目の建物は、計画途中に関東大震災が発生したことで、計画が一時中断している。
その際に、耐震面などの大きな見直しが行われ、元々外壁に用いる予定だったテラコッタタイルは、より強靭な天然の御影石に変更された。
この外装材の変更があったからこそ、耐久性と重厚感を併せ持った現在のファサードが完成したのである。
銀座和光の第2の顔「ウインドウディスプレイ」

銀座和光の第1の顔は、間違いなく上部の時計台であるが、実は第2の顔も存在する。
それが、建物下層部の中央に存在する「ウインドウディスプレイ」である。
このウインドウディスプレイは、1952年に和光本店での営業開始を記念して設置されたもので、年に数回程度、内部のデザインが多様に変化する。
過去のデザインに関しては、公式ページに掲載されている。
渡辺仁の代表作

今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。