【建築解説】第一生命日比谷ファーストビル(旧第一生命館)|渡辺仁

みなさんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。

今回は、皇居外苑を囲む日比谷濠に面する位置に建つ「第一生命日比谷ファーストビル(旧第一生命館)」の歴史と建築的特徴を解説していきたいと思います。

戦前に建てられた歴史のある建築物です。

是非最後までご覧ください。

目次

第一生命日比谷ファーストビル(旧第一生命館)の概要

photo by Kakidai/CC 表示-継承 4.0
  • 設計:渡辺仁
  • 住所:東京都千代田区有楽町
  • 竣工:1938年
  • 用途:オフィスビル
  • URL:公式ページ

第一生命日比谷ファーストビルは、1938年東京都千代田区有楽町の日比谷濠沿いに建設された「第一生命館」を前身とするオフィスビルである。

低層部分が第一生命館を保存した棟、その上部にオフィスなどが入る高層棟が建つという全体構成になっている。

第一生命館の設計は、銀座和光や東京国立博物館本館などの設計者としても知られる建築家「渡辺仁」が担当。

日比谷濠に向けて大きな柱を複数並べた歴史主義の建築物となっており、日本近代建築の代表作としても知られている。

設計者:渡辺仁とは?

  • 1887 新潟県に生まれる
  • 1912 東京帝国大学建築学科卒業
  • 1912 鉄道院勤務
  • 1920 渡辺仁建築工務所設立
  • 1953 渡辺高木建築事務所開設
  • 1967 渡辺仁建築事務所に改称
  • 1973 死去(86歳)

渡辺仁は、日本建築界が「歴史主義(近代化)」から「モダニズム」へと変遷していく時代に生きた建築家である。

そのため、彼自身の作品にも「歴史主義建築」「帝冠様式建築(和洋折衷建築)」「モダニズム建築」など、多種多様な様式を持った作品が存在し、時代の流れに沿って様式を選択的に用いていた建築家としても知られている。

代表作としては「服部時計店」「東京国立博物館本館」「原邦造邸」などが挙げられ、それぞれ時代の流れを反映した異なる特徴を持つ。

第一生命日比谷ファーストビル(旧第一生命館)の特徴

第一生命館を保存したオフィスビル

第一生命日比谷ファーストビルの前身は、1938年に渡辺仁の手によって建設された「第一生命館」である。

第一生命館は、第一生命保険の本社や郵便局、ホールなどを内包した複合施設だ。

戦後はGHQに接収され本部が置かれたことでも有名である。

GHQの本部となった施設

photo by ChrisHamby/CC 表示-継承 4.0

GHQ最高司令官であったマッカーサーは、東京にある数多くの建築物の中からこの第一生命館を本部として選んだ。

西洋風の堂々とした風格が気に入ったのだろうか。

ちなみに、公開はされていないものの、マッカーサーの執務室は現在も第一生命日比谷ファーストビル内に保存されているらしい。

百尺規制の名残を残すオフィスビル

photo by Kakidai/CC 表示-継承 4.0

戦前、皇居を中心とする東京の大都市などでは「百尺規制」なるものが存在していた。

これは、美しい景観を守るために建物の高さを「百尺(約31m)」以内に収めましょうという規制であり、この規制の影響で戦前の丸の内にはスカイラインが百尺に揃った統一感のある街並みがつくられていた。

戦後、この百尺規制は撤廃され高層建築が次々に丸の内に建てられるようになるのだが、そんな中でも百尺規制があったという記憶を継承するために、ほとんどの建物が低層棟と高層棟に分離したようなデザインで建てられた。

そして、第一生命日比谷ファーストビルも、その百尺規制の名残を残す建築物の一つとなっている。

方柱が連立する西洋風のファサード

第一生命日比谷ファーストビルは、低層棟(第一生命館保存棟)の方柱が連立する西洋風のファサードが特徴となっている。

渡辺仁の当初の計画では、より西洋の歴史主義建築に近い「円柱」を用いる予定だったようだが、予算や合理性の問題から円柱のデザインは断念したという。

しかし、これほど大きな柱が10本も並ぶ様子は壮観である。

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今回はこれで以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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