みなさんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。
今回は、現在の丸の内の基礎となった建築物「丸の内ビルディング」の歴史や建築的特徴について解説していきたいと思います。
1923年に竣工した「丸ノ内ビルヂング」の建て替え計画として建設された高層オフィスビルです。
是非最後までご覧ください。
丸の内ビルディングの概要

丸の内ビルディングは、東京駅・丸の内駅前広場沿いに建つ、地上37階(高さ180m)を誇る超高層ビルである。
1923年に竣工し、約80年に渡り使用し続けられた「丸ノ内ビルヂング」の建て替え計画として建設された高層ビルであり、前身・丸ノ内ビルヂングの特色を色濃く残している。
建築の設計は、丸の内エリアで様々な高層建築を手掛けている組織設計事務所「三菱地所設計」が担当。
丸の内エリア特有の、低層部と高層部でボリュームが分割された特徴的な高層建築となっている。
設計者:三菱地所設計とは?
- 1890年 丸ノ内建築所設置
- 1893年 三菱合資会社設立
- 1937年 三菱地所設立
- 2001年 株式会社三菱地所設計設立
三菱地所設計は、東京都千代田区丸の内に本社を置く、日本の大手組織設計事務所である。
建築以外にも、土木の設計や監理、コンサルティング業務、都市開発業務などを幅広く行っている。
代表作としては「横浜ランドマークタワー」「新丸の内ビルディング」などが挙げられ、数多くの高層建築を手掛けていることでも知られている。
丸の内ビルディングの建築的特徴
前身は1923年竣工の「丸ノ内ビルヂング」

「丸ノ内ビルヂング」と「丸の内ビルディング」。
名前がちょっとややこしいが、基本的には1923年に竣工し約80年に渡り使用し続けられた上の写真の建物を「丸ノ内ビルヂング」、現在建っている高層ビルを「丸の内ビルディング」と呼ぶ。
前身の丸ノ内ビルヂングは、竣工当時としては先駆的な、オフィスビルの低層階を商業施設として開放した複合施設であった。
また、地下2階・地上9階という規模も当時としては国内最大級であり、日本の近代化を象徴するシンボル的な建築物であったという。
前身・丸ノ内ビルヂングの設計は「桜井小太郎」

前身・丸の内ビルヂングの設計は、ロンドン大学を首席で卒業した日本人建築家「桜井小太郎」が担当した。
桜井小太郎は、辰野金吾やジョサイア・コンドルの弟子としても知られており、開国後における日本建築界の礎を築いた人物の一人でもある。
桜井小太郎が設計した丸の内ビルヂングは、施設内部に設けられた十字型アーケードが特徴的であり、そのアーケードは現在の丸の内ビルディングにも継承されている。
低層部と高層部で分割された丸の内ビルディング

上の写真を見て分かる通り、現在建っている丸の内ビルディングは、横に広がりのある「低層部」と、断面積は小さいが縦に伸びのある「高層部」がくっきりと分割されたデザインとなっている。
実はこれ、丸の内ビルディングに限った話ではなく、丸の内に建つほとんどの建物はこのように「低層部+高層部」というような構成になっている。
このような構成が採用される理由は、戦前の日本に存在していた「百尺規制」に原因がある。
丸の内は百尺規制でできた街

上の写真は、1960年ごろの丸の内の街並みである。
ご覧の通り、現在の丸の内を埋め尽くしている高層ビルは一棟たりとも存在せず、ほとんどの建物は百尺(約31m)ほどの高さで統一されていることがわかる。
これが「百尺規制」の効果である。日本政府は、丸の内といった主要都市に建物を建てる際に「百尺(約31m)」という高さ制限を課すことで、皇居周辺の景観を保護しようとしたのだ。
結局、戦後になるとこの百尺規制は撤廃され高層ビルが建てられ始めるのだが、百尺規制の名残は「低層部+高層部」という形で今もなお継承されているのである。(大手町・丸の内・有楽町地区まちづくりガイドラインにルールとして載っている)
双璧を成す「新丸の内ビルディング」

実は、丸の内ビルディングの向かいには「新丸の内ビルディング」という超高層ビルが建っている。
つまり、丸の内ビルディングと新丸の内ビルディングが、東京駅と向かい合うようにして双璧を成しているのである。
ちなみに、新丸の内ビルディングも元々は1952年に竣工した地上8階建ての低層オフィスビルであったが、2007年に現在の高層ビルに建て替えられている。
丸の内・有楽町の有名建築物

今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。