みなさんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。
今回は、ドイツベルリンに建つ記念碑「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(ホロコースト記念碑)」の建築的特徴について解説していきたいと思います。
アメリカの建築家「ピーター・アイゼンマン」による記念碑建築です。
是非最後までご覧ください。
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(ホロコースト記念碑)とは?
- 設計:ピーター・アイゼンマン
- 住所:ドイツ・ベルリン
- 竣工:2005年
- 用途:記念碑
- URL:公式ページ
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(ホロコースト記念碑)は、第二次世界大戦中にホロコースト(大量虐殺)によって殺されたユダヤ人の追悼を目的として、2005年に建設された記念碑である。
記念碑全体は、2700を超えるコンクリートの量塊が、2万㎡近くある広大な敷地に整然と並べられた構成となっている。
コンクリートの平面サイズはどれも「2.38×0.9m」で統一されているが、高さは「0~4.7m」と変化に富んでいる。
訪れた人々は、このコンクリートの隙間を自由に歩き回ることができるのだが、その異様な空間体験からは、恐怖や不安を感じる人も少ないくないという。
ちなみに、この敷地の地下には、ホロコーストに関する情報センターが埋め込まれている。
ホロコースト記念碑の建築的特徴
ユダヤ人を追悼するための記念碑
1939年に勃発した第二次世界大戦では、数えきれないほどのユダヤ人がナチス・ドイツの大量虐殺によって殺された。
この大量虐殺のことを「ホロコースト」ととも言い、ホロコーストは人類史上最悪の戦争犯罪ともいわれている。
そんな、ホロコーストによって犠牲になったユダヤ人を追悼するために、2005年、ドイツの首都ベルリンに大規模な記念碑が建てられることになった。
その記念碑というのが、今回紹介する「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(ホロコースト記念碑)」なのである。
敷地はドイツ・ベルリンの中心地
ホロコースト記念碑の敷地は、ベルリンのシンボルである「ブランデンブルク門」や「国会議事堂」などが存在する、ベルリンの中心地に設定されている。
敷地面積は何と約19,000㎡。サッカーコート3面分に相当する規模である。
写真奥に映る緑地帯は、ベルリンの広大な都市公園「ティーアガルテン」であり、その横には現代的なビルが建ち並んでいることがわかる。
ピーター・アイゼンマンの代表作
ホロコースト記念碑の設計を担当したのは、アメリカの建築家「ピーター・アイゼンマン」である。
アイゼンマンは、1980年代頃に登場した建築思潮「脱構築主義」の先駆者と言われる人物で、現代建築界を牽引する世界的建築家としても知られている。
脱構築主義とは、均質性や機能性を前提としたモダニズムの反動によって生まれた建築思潮であり、その代表者であるアイゼンマンの作品には、真面目なモダニズムでは生まれなかったような革新的な作品が多い。
ホロコースト記念碑も味方によっては、脱構築主義の一つなのかもしれない。
広大な敷地に整然と並ぶコンクリートの量塊
ホロコースト記念碑はご覧の通り、無骨なコンクリート量塊の集合体によって全体像が構成されている。
コンクリートの量塊の数は、なんと2711個。
コンクリートの平面サイズはどれも「2.38×0.9m」で統一されているが、高さは「0~4.7m」と変化に富んでいる。
この棺にも見えるようなコンクリートの量塊が、規定されたグリッドに沿う形で、広大な敷地の中に整然と並べられているのである。何とも大胆な記念碑だ。
恐怖や不安を感じる空間体験
コンクリート量塊の高さが高いところになると、上の写真のような風景が広がっている。
言葉には表しがたいが、どこか恐怖や不安に満ちた風景である。
ピーター・アイゼンマンが狙ったのかは定かではないが、当時のユダヤ人の心情と共鳴するかのような構成になっている。
『ハリーポッターと炎のゴブレット』でも、似たような空間が登場していたような気がする。
意外にも親しまれている記念碑
前項では、恐怖や不安という言葉を使用してしまったが、実はこのホロコースト記念碑は、以外にも人々から親しまれている。
コンクリートの中を散策する人もいれば、子どもたちは鬼ごっこなんかをして楽しみ、しまいにはコンクリートの上でピクニックをする人もいるらしい。
一般的な記念碑でこのような行為をするのは不道徳ではあるが、このホロコースト記念碑は、そういった状況を受け入れるだけの寛容さを持ち合わせている。
そもそも、設計者であるアイゼンマンですら、このような状況を歓迎しているという。
ピーター・アイゼンマンの関連書籍
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。