辰野金吾(たつのきんご)とは?
- 1854 現・佐賀県唐津市に生まれる
- 1879 現・東京大学工学部建築学科卒業
- 1880 英国留学に出発
- 1884 工部大学校教授就任
- 1886 造家学会(現・日本建築学会)設立
- 1903 葛西萬司と辰野葛西事務所を開設
- 1905 片岡安と辰野片岡事務所を開設
- 1919 死去(64歳)
辰野金吾は(1851~1919)は、大学やイギリス留学を経て、いち早く日本に近代建築を伝えたことから「日本近代建築の父」と呼ばれている建築家である。
代表作としては「東京駅」「日本銀行本店」などが知られ、歴史主義建築を数多く残したことで知られている。
ここで建築に詳しい方は「近代建築の父なのに、歴史主義建築を設計したの?」と疑問に思われるだろうが、実は日本で言う近代建築は「西洋化された建築」のことを指す。
そして、ル・コルビュジエに代表される海外の近代建築は、日本では「モダニズム建築」と名前が区別されているのである。
つまり、「日本近代建築の父」である辰野金吾は、モダニズム建築を設計したのではなく、西洋化された建築(歴史主義建築)を設計した建築家であるというわけだ。
いずれにせよ、今回は日本近代建築の父「辰野金吾」の建築作品7選をご紹介したいと思う。
【代表作】建築家辰野金吾の建築作品7選
1.東京駅(旧・中央停車場)
- 設計:辰野金吾
- 住所:東京都千代田区丸の内一丁目
- 竣工:1914年
- 用途:駅施設
- URL:建築詳細ページ
東京駅は、1914年に新橋と上野を結ぶ高架鉄道の「中央停車場」として建設された駅舎建築で、現在は「東京駅」という名称で国民に親しまれている。
中央停車場が建設された当時、日本政府は全面的に西洋化を推進しており、近代建築を数多く手がけていた辰野金吾が設計者として選ばれた。
建築としては、3階建て、全長約335メートルの「レンガ×鉄筋造」で構成されており、南北にある2つのドーム屋根がシンボルになっている。
この建築は、1945年の東京大空襲によって3階部分や左右のドーム部分が焼け落ちてしまい、長らく辰野金吾が設計したオリジナルの姿をしていなかったのだが、2007年に竣工当時の姿への復原工事が開始され、2012年には当時の姿がほぼ完璧に再現された。
建築詳細ページ
2.日本銀行本店(現・日本銀行本店旧館)
- 設計:辰野金吾
- 住所:東京都中央区日本橋本石町
- 竣工:1896年
- 用途:銀行店舗
- URL:参考ページ
日本銀行本店は「ベルギー国立銀行」や「イングランド銀行」といった西洋建築を参考に、1896年に建設された銀行施設である。
建築としては、1階部分はほぼ完全な「石造り」、2,3階は軽量化を目的として「レンガ造り」となっており、耐震性に配慮された構成となっている。
また、これは有名な話だが、この建築は上空から見ると「円」という漢字の形状をしている。
日本銀行という施設であるため、辰野金吾が狙ってこの構成を採用したのかと勘違いしそうだが、実は建設当初、今の「円」という漢字は「圓」という字で表記されていたそうなので、この形態は全くの偶然だと言われている。すごい奇跡だ。
3.奈良ホテル本館
- 設計:辰野金吾
- 住所:奈良県奈良市高畑町
- 開業:1909年
- 用途:ホテル
- URL:参考ページ
奈良ホテルは、明治時代に「国家の迎賓館」として建設されたホテル施設である。
建築としては、寺社の多い奈良という街の景観に対して、木造2階建ての瓦葺き建築・白漆喰仕上げという日本伝統の様式を採用することで、景観に配慮。
一方で、内装は「日本文化」と「西洋文化」を混合した『和洋折衷』の構成となっており、周辺環境に配慮しつつ当時の時代の流れ(近代化の流れ)を取り入れた作品として、国内外から高い評価を得ている。
4.盛岡銀行本店(現・岩手銀行赤レンガ館)
- 設計:辰野金吾
- 住所:岩手県盛岡市中ノ橋通
- 竣工:1911年
- 用途:銀行店舗
- URL:参考ページ
盛岡銀行本店は、1911年・岩手県盛岡市中ノ橋通一丁目に盛岡銀行の本店として建設された銀行建築である。
建築としては、通称「辰野式」と言われる、赤レンガに白い花崗岩を帯状にめぐらせたデザインが特徴的で、代表作『東京駅』にも採用された辰野金吾お得意のデザインとなっている。
この施設は、2012年に銀行としての営業は終了しているが、2016年からは「岩手銀行赤レンガ館」と名称を変更し、公開施設として一般公開されている。
5.日本生命九州支店(現・福岡市赤煉瓦文化館)
- 設計:辰野金吾
- 住所:福岡県福岡市中央区天神
- 竣工:1909年
- 用途:オフィス
- URL:参考ページ
日本生命九州支店は、1909年・福岡県福岡市に「日本生命保険株式会社」の九州支店として建設された施設である。
建築としては、辰野式と呼ばれる「赤レンガ」と「白い花崗岩」で構成された外観が特徴的で、小規模ながらも辰野金吾らしさが存分に発揮された建築となっている。
現在、この施設は、有料で利用できる大小3つの会議室などを備えた「福岡市赤煉瓦文化館」として使用されており、開かれた施設として市民に親しまれている。
6.浜寺公園駅駅舎
- 設計:辰野金吾
- 住所:大阪府堺市西区浜寺公園町
- 竣工:1907年
- 用途:駅舎
- URL:参考ページ
浜寺公園駅駅舎は、辰野金吾が初めて設計した駅舎として1907年に竣工した、木造駅舎建築である。
建築としては、北方ヨーロッパで見られる木造建築の技法「ハーフティンバー様式」が用いられており、柱・梁・斜材などの構造体が壁面に現れた構成が特徴的。
この施設は「日本最古の現役私鉄駅舎」として知られていましたが、2016年に駅舎としての使用は終了され、現在はギャラリーなどとして活用されている。
7.旧松本家住宅(現・西日本工業倶楽部会館)
- 設計:辰野金吾
- 住所:福岡県北九州市戸畑区一枝
- 用途:住宅
- URL:参考ページ
旧松本家住宅は、日本の実業家「松本健次郎」の住宅として、1911年・福岡県北九州市に建設された施設である。
本施設は「日本館」と「洋館」の2つの棟で構成されており、辰野金吾は洋館の設計を担当した。
建築としては、19世紀末にヨーロッパで流行した「アール・ヌーヴォー様式」が取り入れられており、優雅な曲線を用いた有機的な構成が特徴的な施設となっている。
現在、この施設は春と秋の年に2回だけ一般公開されている。
辰野金吾の関連書籍
今回はこれで以上になります。
今回ご紹介した建築は、辰野金吾が設計した建築のほんの一部です。
そのため、今後も随時情報を更新していきたいと思っています。
気が向いたら、また本記事をご覧ください。
ではまた。