みなさんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。
今回は、戦前から戦後に渡り、昭和期の日本建築界を支えた建築家「内田祥三」の建築作品5選をご紹介したいと思います。
数多くの東大建築を設計したことでも知られる建築家です。
是非最後までご覧ください。
内田祥三(うちだよしかず)とは?
- 1885年 東京深川に生まれる
- 1907年 東京帝国大学建築学科卒業
- 1907年 三菱合資地所(現・三菱地所)入社
- 1911年 東大講師
- 1916年 東大助教授
- 1921年 東大教授
- 1935年 日本建築学会会長
- 1943年 東大総長
- 1972年 文化勲章受章。逝去(88歳)
内田祥三(うちだよしかず)は、建築界で4人目の文化勲章受章者として知られる、日本を代表する建築家・都市計画家である。
東京大学・本郷地区キャンパス全体の配置計画を行い、大学紛争の舞台になったことで有名な「安田講堂」をはじめとする、複数の東大建築を設計したことでも知られている。
また、1919年に発行された「市街地建築物法」と「都市計画法」の作成に深くかかわったことでも知られており、ある意味では、今の建築界の基礎をつくり上げた人物だと言う事もできるだろう。
さらに、関東大震災(1923年)の経験から、地震に強い鉄筋コンクリート造にこだわりを持っていたことでも知られており、彼の手掛けた建築作品のほとんどはRC造で建てられている。
内田祥三の建築作品5選
1.安田講堂
- 設計:内田祥三
- 住所:東京都文京区本郷7-3
- 竣工:1925年
- 用途:講堂
- URL:参考ページ
安田講堂は、収容人数1,144人の大ホールを有する、東京大学・本郷地区キャンパスの中心に建つ講堂建築物である。
1968年から1969年にかけて東大で起こった「東大紛争」の舞台になったことでも有名な建築物だ。
赤茶色のタイルで覆われた安田講堂は、ゴシック様式を用いた洋風建築となっており、天まで伸びるような垂直性を強調した構成が特徴となっている。
内田祥三が数多く手がけた東大建築の先駆けとして建設された建築物で、1996年にはその歴史的価値が認められ、国の登録有形文化財にも登録された。
2.東京大学総合図書館
- 設計:内田祥三
- 住所:東京都文京区本郷7-3-1
- 竣工:1928年
- 用途:図書館
- URL:参考ページ
東京大学総合図書館は、1923年に発生した関東大震災の復興記念碑的な意味合いを込めて建設された、東京大学・本郷地区キャンパス内に建つ図書館である。
アメリカの民間慈善団体「ロックフェラー財団」からの寄付金を基に建設されており、現在は安田講堂と共に東大のシンボル的存在になっている。
建築全体は、安田講堂と同じくゴシック様式を用いた洋風建築となっており、まるで本を横に並べたかのようなファサードが特徴になっている。
また、総合図書館には別館(2017年)が存在するのだが、その別館は、本館の前面に広がる広場の地下に埋め込まれる形で建てられている。
3.東京大学工学部1号館
- 設計:内田祥三
- 住所:東京都文京区本郷7-3-1
- 竣工:1935年
- 用途:校舎
- URL:参考ページ
東京大学工学部1号館は、関東大震災で損壊した「旧工科大学本館」の跡地に建設された東大建築である。
内田祥三の他の東大建築と同じく、ゴシック様式を用いた洋風建築となっており、正面入口の尖頭アーチが建物全体を引きしてめている。
1998年には、国の登録有形文化財にも登録されており、内田祥三の代表作の一つになっている。
4.東京大学教養学部1号館
- 設計:内田祥三
- 住所:東京都目黒区駒場3-8
- 竣工:1933年
- 用途:校舎
- URL:参考ページ
東京大学教養学部1号館は、東大・駒場地区キャンパス内に建つ校舎建築である。
駒場地区キャンパスは、内田祥三が全体計画を行った本郷地区キャンパスに比べ、内田ゴシックのような洋風建築は少なく、ほとんどの建物が現代建築になっている。
しかし、キャンパス中央に位置する時計台「東京大学教養学部1号館」は内田祥三によるゴシック建築となっており、国の登録有形文化財にも登録されている。
現代建築群の中で圧倒的な存在感を放った内田建築である。
5.損保ジャパン本社ビル
- 設計:内田祥三
- 住所:東京都新宿区西新宿1-26-1
- 竣工:1976年
- 用途:オフィスビル
- URL:参考ページ
内田祥三は、戦前こそ東大建築を始めとして数多くの建築作品を手掛けているのだが、戦後になると建築家としての活動は極端に減っている。
そんな中で、戦後内田祥三が設計に関わった貴重な建築作品として有名なのが、この損保ジャパン本社ビルである。
竣工したのは1976年。内田祥三が逝去したのが1972年であるため、彼の遺作という事になる。
高さが200mにも及ぶ超高層ビル建築で、スカートのように末広がりの形状がインパクトのある外観を作り出している。
東大建築群のように、ゴシック様式を意図的に用いたわけでないだろうが、その垂直性の高いファサードからはどこか内田祥三のエッセンスが感じられる。
内田祥哉(内田祥三の次男)について
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。