葛西萬司の建築作品5選【人物像・代表作などを解説】

皆さんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。

今回は、辰野金吾の右腕として数多くの建築作品を手掛けてきた建築家「葛西萬司」の建築作品5選をご紹介したいと思います。

日本近代建築界を辰野金吾と共に牽引した人物です。

是非最後までご覧ください。

目次

葛西萬司(かさいまんじ)とは?

葛西萬司の経歴

  • 1863年 岩手県盛岡市に生まれる
  • 1890年 帝国大学造家学科卒業
  • 1890年 日本銀行技師
  • 1903年 辰野葛西建築事務所設立
  • 1919年 辰野金吾没、葛西建築事務所設立
  • 1927年 葛西田中建築事務所に改称
  • 1937年 葛西建築事務所に戻す
  • 1942年 逝去(79歳)

葛西萬司(かさいまんじ)は、日本にまだ建築事務所というものがほとんどなかった時代に、師匠の辰野金吾と共に「辰野葛西設計事務所」を立ち上げ、日本建築界を牽引した人物である。

帝国大学造家学科(現・東大建築)を卒業した葛西は、日本銀行の技師として勤務し、多くの銀行建築を手がけたのちに退職。

辰野金吾が亡くなる1919年まで、約16年もの間、辰野金吾の右腕として手腕を振るってきた。

辰野金吾の死後は、葛西建築事務所として単独で設計活動を行い、地元盛岡を中心に、数多くの建築作品を手がけた。

葛西萬司の建築作品5選

1.日本銀行本店本館

photo by Wiiii/CC 表示-継承 3.0
  • 設計:辰野金吾・日本銀行技師
  • 住所:東京都中央区日本橋本石町
  • 竣工:1896年
  • 用途:事務所
  • URL:公式ページ

日本銀行本店本館は、葛西萬司が日本銀行の技師として勤務していた時代に、辰野金吾主導の下、製図主任を担当した建築作品である。

建築としては、大オーダー(2層分の高さを持つオーダー)がファサードに用いられていることから、後期ルネサンスやバロック様式を引用した歴史主義建築であることがわかる。

また、これは有名な話だが、この建物を上空から見ると「円」という漢字の形状をしている。

日本銀行というお金に関する施設であるため、辰野金吾が狙ってこの構成を採用したのかと勘違いしそうだが、実は建設当初、今の円という漢字は「圓」という字で表記されていたため、この形態は全くの偶然だと言われている。

2.日本銀行大阪支店

photo by Kakidai/CC 表示-継承 4.0
  • 設計:辰野金吾・日本銀行技師
  • 住所:大阪府大阪市北区中之島
  • 竣工:1903年
  • 用途:事務所
  • URL:公式ページ

日本銀行大阪支店も一つ前に紹介した本店同様に、葛西萬司が日本銀行の技師として勤務していた時代に設計を担当した作品である。

中央にドーム型の屋根、その両サイドに三角屋根を持った外観が特徴的で、大阪中之島のシンボルになっている。

様式としても、ルネサンスとバロックを融合した歴史主義建築となっており、銀行建築にふさわしい重厚感のある外観を形成している。

この建物は一時、老朽化や地盤沈下を原因に取り壊される予定になっていたが、「歴史ある建築を残してほしい」という声が多く、建物の中に鉄筋コンクリート造の新しい構造体を設けることで保存されることとなった。

3.盛岡銀行本店本館(現・岩手銀行赤レンガ館)

photo by 663highland/CC 表示-継承 4.0
  • 設計:辰野葛西建築事務所
  • 住所:岩手県盛岡市中ノ橋通
  • 竣工:2011年
  • 用途:事務所
  • URL:公式ページ

盛岡銀行本店は、1911年岩手県盛岡市中ノ橋通に、盛岡銀行の本店として建設された銀行建築である。

辰野金吾と葛西萬司が、共同で事務所を立ち上げてから手掛けた建築作品となっている。

建築全体は、東京駅にも用いられた、赤レンガに白い花崗岩を帯状にめぐらせた通称「辰野式」という辰野金吾独自のデザインが採用されている。

この施設は、2012年に銀行としての営業は終了しているが、2016年からは「岩手銀行赤レンガ館」と名称を変更し、公開施設として一般公開されている。

4.中央停車場(現・東京駅)

  • 設計:辰野葛西建築事務所
  • 住所:東京都千代田区丸の内一丁目
  • 竣工:1914年
  • 用途:駅施設
  • URL:建築詳細ページ

中央停車場は、1914年に新橋と上野を結ぶ高架鉄道の停車場として建設された駅舎建築で、現在は「東京駅」という名称で国民に親しまれている。

東京駅の設計者が辰野金吾だということは割と有名な話だが、実は葛西萬司も設計に関わっているということはあまり知られていない。

建築としては、3階建て、全長約335メートルの「レンガ×鉄筋造」で構成されており、南北にある2つのドーム屋根がシンボルにもなっている。

この建築は、1945年の東京大空襲によって3階部分や左右のドーム部分が焼け落ちてしまい、長らく辰野金吾が設計したオリジナルの姿をしていなかったのだ。

しかし、2007年に竣工当時の姿への復原工事が開始され、2012年には竣工当時の姿がほぼ完璧に再現されている。

5.盛岡貯蓄銀行本店(現・盛岡信用金庫本店)

photo by Wakkubox/CC 表示-継承 3.0
  • 設計:葛西建築事務所
  • 住所:岩手県盛岡市中ノ橋通
  • 竣工:1927年
  • 用途:事務所
  • URL:公式ページ

盛岡貯蓄銀行本店は、1927年に盛岡貯蓄銀行の本店として岩手県盛岡市に建設された銀行建築である。

1919年の辰野金吾の死後、葛西萬司が単独で「葛西建築事務所」を経営していた時に、地元盛岡市で手掛けた作品となっている。

建物正面に配置された6本の丸柱によって、古代ギリシャ神殿を思わせるような重厚感のある佇まいを作り出していることから新古典主義建築の一部だといわれているが、柱頭のデザインが古典様式には見られないものになっている。

おそらく、この建物が建てられた1920年代は、西欧からモダニズム建築が徐々に入り込んできていた時代であったため、洋式建築の牙城が崩れ始める兆候を示しているのではないかと考えられる。

葛西萬司の関連書籍

今回はこれで以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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