佐野利器の建築作品3選【人物像・代表作などを解説】

みなさんこんにちは、本サイト「建築LIFE」を運営しているたけです。

今回は、日本建築構造学の先駆者「佐野利器」の建築作品3選をご紹介したいと思います。

「工学としての建築」の重要さを世に広めた人物です。

是非最後までご覧ください。

目次

佐野利器(さのとしかた)とは?

佐野利器の経歴

  • 1880年 山形県に生まれる
  • 1903年 東京帝国大学建築学科卒業、大学院進学
  • 1906年 同大学助教授
  • 1910年 ドイツ留学、米国視察
  • 1918年 同大学教授
  • 1920年 日本大学高等工学校(現・理工学部)創設初代校長
  • 1956年 逝去(76歳)

佐野利器(さのとしかた)は、日本の建築構造学、特に耐震構造学を確立したことで知られる建築家である。

西洋では古来より、様式を重んじた「芸術としての建築」が発展してきたのだが、佐野利器はこれとは距離を置き「工学としての建築」の発展に努めた。

構造設計者としての佐野利器の代表作には、日本における最初期の鉄骨造建築「日本橋丸善」や、オリジナルではないが今も現存する「徳島県庁舎(現・徳島県立文書館)」などが挙げられる。

また、日本大学理工学部の前身にあたる「日本大学高等工学校」の初代校長を務めたことでも知られており、理論と実践、両方面から「工学としての建築」の発展に貢献した人物として知られている。

佐野利器の建築作品3選

1.日本橋丸善本社ビル

  • 設計:佐野利器(構造)
  • 住所:現・東京都中央区日本橋
  • 竣工:1909年
  • 用途:店舗
  • URL:公式ページ

日本橋丸善本社ビルは、日本の大手出版社「丸善(現・丸善雄松堂)」の本社ビルとして1909年に建設された建築物である。

一見、煉瓦造の建物にも見えるが、主要構造は鉄骨造となっており、煉瓦は現在で言うカーテンウォールの役割として用いられ、構造体としては機能していない。

この日本橋丸善本社ビルが建つまで、鉄骨造はあくまで煉瓦造の補完的役割として用いられていた。

しかし、佐野利器は日本初となる純鉄骨造で日本橋丸善を設計することで、鉄骨造の可能性を日本中に広めたのである。

だが、単なる鉄骨造は、地震には強いが熱には弱いという性質を持っており、この頃は耐火被覆といった技術もなかったため、1923年に発生した関東大震災で日本橋丸善は倒壊してしまった。

しかしこの倒壊は、あくまで倒壊の原因は火災によるもので、地震の揺れにはしっかりと耐えていたため、鉄骨造の強さが証明される形にはなった。

2.徳島県庁舎(現・徳島県立文書館)

photo by 663highland/CC 表示 2.5
  • 設計:佐野利器(構造)
  • 住所:徳島県徳島市八万町向寺山
  • 竣工:1930年
  • 用途:庁舎(現・文書館)
  • URL:公式ページ

徳島県庁舎は、1930年に徳島県の行政庁舎として建設された建築物である。

上の写真は、徳島県庁舎の玄関部分を移築保存する形で建設された「徳島県立文書館(1989年)」の写真であり、本来の庁舎建築よりも左右のボリュームをかなり短縮して建てられている。

徳島県庁舎が建てられた1930年ごろは、1923年に発生した関東大震災の教訓から、地震や火に強い鉄筋コンクリート造の建物が次々と建てられていた時代であったため、本建築にももちろん鉄筋コンクリート造が用いられている。

オリジナルの状態ではないが、現存する貴重な佐野利器建築である。

3.初代国技館 ※現存せず

  • 設計:辰野金吾+葛西萬司(意匠)・佐野利器(構造)
  • 住所:現・東京都墨田区
  • 竣工:1909年
  • 用途:武道場
  • URL:公式ページ

現在、両国駅の目の前に建っている両国国技館は、実は「2代目国技館」である。

初代国技館は上の写真の通り、ドーム型が特徴的な洋風建築であった。

初代国技館の意匠設計は、東京駅の設計者としても知られる辰野金吾と、その弟子である葛西萬司が務め、構造設計を佐野利器が担当している。

初代国技館は、鉄骨の骨組みに木の板を張るという日本初の「ドーム型鉄骨板張」を採用した先駆的な建築物となっており、佐野利器の功績は大きい。

1923年の関東大震災で焼失して建て直されたり、戦後はGHQに接収されるなど、紆余曲折がありながらも、1958年に佐野利器ゆかりの日本大学に譲渡され、講堂として長らく利用されていた。

しかし、老朽化などが激しかったことから1983年には解体されてしまい、残念ながら現存していない。

佐野利器の師匠「辰野金吾」について

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今回はこれで以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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